BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

R・シュトラウスの「サロメ」。ブラスフェスタ多摩2017。-170320。

9時くらいにおきて何冊か本をよんだ。

そのあとDVDで「サロメ」をみた。

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www.universal-music.co.jp

R・シュトラウスのオペラ。
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
ドホナーニ指揮
リュック・ボンディ演出のを
もっている。

カナーンが、サロメの愛情に、
関心がないわけではないかのように
演出しているのが このバージョンの
特徴ではなかろうか。
カナーンが、
すがってくるサロメを追い返したり
ヒザにしがみつくサロメの頭を
両手でかかえたりする
手つきが、ちょっと、やさしい。
サロメの誘いに
懊悩しているようにみえるのだ。

サロメ役のキャサリン・マルフィターノは
オペラ歌手であって
ダンサーではないのに
「七つのヴェールの踊り」を
ちゃんと踊っていて えらい。
キャサリン・マルフィターノは
このDVDの収録のとき
たぶん50歳はとうにこえていた。
なのにそうとはおもえないほど
踊りに迫力があり、
自信に満ちてすごくきれいで、
みていてドキドキさせられる。
こういうのこそがほんとうの
セクシー、ということではないだろうか。
最後のほうは、つかれてくるらしく、
足がぜんぜん上がってないけど(^^)
むりもないとはおもう。
しかも10分くらい踊ってそのあと
やすみなく、長い歌をうたうんだよ。
ものすごく殺生なオペラだ。

衛兵部隊長の
自殺にいたるまでの心の動きを
もっとちゃんと描いてほしいような気もする。
何度みても、なんで死んだの?
ってかんじがする。
愛しいサロメがヨカナーンイカレていくのを
これ以上みるくらいなら死にますという
ことだというのは 理解できるのだが、
やや唐突におもえるのだ。

ユダヤの祭司たちのところや
ヘロデ・アンティパスの狂いっぷりは
とても観ていてたのしい。

オスカー・ワイルド
やっていいこと わるいことというのを
考えない人だったんだな とおもうけど
それなのにぜったいに
品位をそこなわないし、深い。
そして、いつまでも古びない。

歌劇サロメのDVDは
ほかにもいくつか
図書館の視聴覚サービスなどで観て 
比べたこともあったが
もうこのコヴェントガーデンので
観慣れちゃった。
でもほかにもいいのがあったら
みてみたいかなあ。

・・・

夕方からは、多摩センター駅にある
パルテノン多摩というホールにいき
「ブラスフェスタ多摩2017」という
吹奏楽のイベントを聴いてきた。

(BRASS FESTA多摩 2017
パルテノン多摩、15:00開場、15:30開演)

関東県内の高校の吹奏楽部や、
一般の楽団などが出演して演奏し
さらにさいごにはそれらのメンバー
+公募参加のプレイヤーの
巨大合同バンドの特別演奏がおこなわれた。
この合同バンドに友人が参加したので
聴きにいってきた。

高校生たちの演奏は
きらきらしていてとてもよかった。
でもなんだか それを見るのが
たまらなくはずかしかった。
自分もおなじ道をとおってきたので
いろいろなことを思い出して
彼らをみていることが
それはそれは尋常でなく恥ずかしかった。
ほとんど赤面しどおしで
下をむいて、顔を両手でおおい、
目をつぶって聴いてた。
まわりからみたら 
この人なにやってんだろうという
かんじだったにちがいない。
とにかくはずかしくて。

でも、高校生たち、とてもかがやいていた。

片倉高校の演奏は
折り目正しく、正統派そのもの。
決然としつつも 
音のしっぽの処理にこまやかに
気を遣っているせいか 
とてもやわらかい感触の演奏で、
彼らの誠実なきもちが伝わった。
スキでやっているんだな
というのがわかるのだ。

永山高校が披露したマーチングも
元気いっぱいでかわいらしかった。
バスーンが、マーチングに
ちゃんと参加していたどころか
むしろほかのどの楽器の子よりも
動きがキレッキレだったのは
みていて驚いたし、応援したくなった。
あんなに動きまくって 
クルークがひん曲がらないか
またはリードがぱっきり割れて
口の中が血まみれにならないか
はらはらしたけども
意外とそんなことにはならないようだった。

中学校のときに1回だけ わたしも
自分の部活でマーチングにトライしたので
参加したけども、
そのときはバスーンではなく、
臨時で打楽器に入れてもらって、
グロッケンを演奏した。
オーボエの子も、打楽器に入ってたな。
バスーン
マーチングできるなんておもってなかった。

コンクール全国出場常連校として有名な
淀川工科高校の指導者・丸谷明夫氏が
片倉高校と合同バンドの指揮をしていた。

わたしは丸谷氏におそわったことが
あるわけじゃないからわからないが
もし自分が あのバンドのバスーンの席にいて
丸谷氏の手がける練習に参加したとしたら、
たぶん、たのしいだろうなとおもった。
というのも、プレイヤーたちの表情が
とてもなごやかで、不要なストレスを 
かかえてないようにみえた。
わたしも片倉高校や合同バンドの
演奏を少しも緊張しないで聴けた。
ライブって、聴くだけでも、
なんだかイヤに緊張することや、
聴いていてたのしくない、
力がはいるなあ、と感じることが
ままあるものだ。
でも、かれらの演奏には、
そういうのがなかった。
だから、きっとみんな 
練習がたのしかったし、
練習をまたしたいと おもうような
練習だったんだろうなと。
またとないステージに立っているんだろうなと
そうおもいながらたのしんで聴いた。

ラストの合同バンドは
総勢170名だかいたようで、
演奏はものすごい迫力。
フォルテやピアノのコントロール
まったくきかないようだった(^^)
ステージの床が抜けないかどうかが
いちばん気がかりだった。

若い人たちの熱い演奏が
きけてたのしかった。

自分はもう吹奏楽はやらないかも。
とにかく、なんかもう、
はずかしかった。
いろいろおもいだしちゃって。
もうあのようには自分はできない。
わたしにとっての吹奏楽は 
すぎさった青春そのもの。
それにわたしは
バスーンのプレイヤーだから。
また団体やるとしたら
今度はオーケストラか
アンサンブルをやりたい。

心があたたまりまくったきょうのできごと。

きょう、仕事の帰りに、お店に寄って夕食をたべた。
そのお店には4~5か月くらいまえにも1回いったことがあった。
まえに行ったとき、わたし、料理をたのんだのに、
食べようとしたとたん、なにか急に体調がわるくなって、
とってもじゃないがこりゃ 食べられないなと。
というか 頑張って食べるためにこれから数十分 お店に
滞在したとしても、それで体力をつかいはたしてしまって
そのあと家に帰る力がのこらないとおもったんだよ。
そのくらい、急激にしかも深刻に調子がわるくなった。
それで まよったんだけれど、
料理を残して帰ることにしたんだわ。
残すことは、本意じゃなかったんで、
紙ナプキンをつかって、お店の人あてにメモをのこしたの。
体調がわるくなってしまったもんで 申し訳ないが残すと。
でも料理に問題があったわけではけっしてなく、
残すことをもうしわけないとおもっていると。
それでお盆のうえにそのメモをおいて、帰った。
貧血かなんかだったかなーとおもうけど。
一晩寝たらもう治ったけどあのときは実際つらかった。

で、きょう、おなじ店に行ったんだわ。
わすれてて。そんなことがあったことを。
そしたら、お店の女性の店員さんがお水をもってきたときに
「このまえはお手紙ありがとうございました。
体調はいかがですか」って。
そういやそんなことあったわ!!っておもいだして。
「あのときはほんとに残してすいませんでした。
覚えていてくれたんですか。」
といったら
「はい、お手紙、ここに」って
ネームプレートのケースの裏側に、わたしがあのとき
おいていったメモ、たたんで入れてくれてたの。

ほっこりか!!!!!!!!

いやー 1日のつかれが ふきとぶにもほどがあったわ。
それに、あんなことが、ネームプレートに入れて
とっておこうなんて思うくらい、店員さんのきもちには
ひびいたのか、とおもうと、
店員さんも日々、きっといろいろ大変なんだろうなと感じた。
わたしは いつもは 仕事帰りに晩御飯しようとおもうときなんて
ほんとに最高レベルにぐったり疲れきっている時間帯だから、
お店にいっても、お店の人と必要以上になにかからもうとか
まったくもっておもってないんだけども、
でも、ありがとうとかごちそうさまとか
そのくらいのことは やはり惜しまずちゃんと
口にだして言わんといかんなとおもったわ。
店員さんはきっととてもたいへんなんだとおもうよ。
わたしのように覇気も生気もない無表情の
つかれた客がつぎからつぎへとやってきてろくに口もきかず
そんななかでせいいっぱい笑顔をふりまいて働いて
とてもたいへんな仕事だろうなあ。
もうちょっとくらいは 疲れていても 
わたしも愛想というものをもとうとおもったわ。




映画の感想-「アサシン・クリード ASSASIN'S CREED(2016)」-170314。

先週の日曜日に観た。

アサシン・クリード
原題:ASSASIN'S CREED  
ジャスティン・カーゼル監督
2016年
英・仏・米・香港

movie.walkerplus.com

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アサシンクリード」は、
わたしの心のなかの
「中二」の部分が刺激される
すごくたのしい映画だった。

世界を支配する力を秘めた宝物をめぐって、
ふたつの勢力がぶつかり合い、
数百年の時を超えてあれやこれやする
スペクタクルアクション。

目新さ、斬新さは感じなかったし、
素人目にみても
細部に難を感じたが、
全体的に作り手のやる気がみなぎり
重くシリアスな雰囲気が
とぎれない。

パルクールをつかったバトルシーンは、
見せ方は平凡におもえても
やってることは超ハイレベルで
みていてたのしかった。

音楽もすごくおしゃれ。

なにしろ全体的に
雰囲気があったのがとてもよかった。

キリスト教文化圏に
生まれたときからいないことには、
なかなか理解しにくく、
「自分に関係ある」ともおもいにくい
ストーリーだとは感じた。
でも日本でもかつて
ダ・ヴィンチ・コード」が
受けたわけだから、
この映画も、楽しいとおもう人は
けっして少なくないだろう。
高く評価されていい映画だった。

ストーリーはもっともっと
複雑なのかとおもったが
案外そうでもなかった。
このくらいなら、わかる。

マイケル・ファスベンダー
むずかしそうな役をうまく演じてた。
アクションも自分でやってたみたいだし、
体のできあがり具合からさっするに。
ルックスの個性が強すぎないから、
どんな時代の物語にも、
どんな社会的地位の役柄にも
ハマれるのだろう。
ただ、どっちかというと
陰気で不幸せそうな顔ではあるので
ハッピーな男の役は
あまりこないのかもしれないが。

シャーロット・ランプリング
マリオン・コティヤール
でてたことに驚愕。
なんででたんだろう(=_=)?

むしかえすようだが、
やっぱ、素人がみても
「?」とおもうところは
あちこちにあった。
たとえば、アニムスだっけ。
あの、とおいご先祖の記憶を
追体験できるという
ハイテクメカ。
単純に記憶をたどるだけじゃ
だめだったんだろうか。
体まで動かさなくちゃ
いけないことはなかったとおもう。
まあそれいっちゃあ 
おしまいか。

あと、主人公のご先祖は、
どうして大事なあの宝物を
他人なんかに託したのか。

それに、
主人公のご先祖から
宝物を託されたその人が、
ご先祖の記憶の中で、
たまたま歴史的に有名な
言葉を発したから
その人物が誰であるかが
わかったようなものの、
そんな都合のいい「たまたま」って、
あるかなあ。

それと、主人公は
ソフィアとその父の目的地が
どうしてわかったのか。
わたしは観衆であり、
ソフィアの考えも主人公の考えも
ぜんぶ観ているから、
ソフィアがつぎはスペインの
セヴィリア大聖堂に行くということが
わかってたし、
そのあとの計画もわかっていた。
でも、主人公はあのとき、
アニムスから降りた直後で
疲弊しているところへ
先祖の過去の幻影が
実体化して目の前にあらわれるという
謎の体験のまっただなかにおり、
ソフィアたちのスケジュールなんか 
知るよしもなかったとおもう。
なのに なぜ彼は
ソフィアの目的地をさがしあてたのか。
テンプル騎士団の集会に
やってこられたことの理由も
同様に、よくわからなかった。

また、宝物「エデンの果実」とは
けっきょくのところ
なにをどうやって
どういうふうに使うものなのか。
緑色の光を発していたが。
天地開闢のときからあったなんて
ふつうに考えると当然おかしい。
作れる技術がなかっただろう。
元祖「エデンの果実」は別にあり
比較的新しい時代にだれかが
同じ名前の
なにかを作ったんだろうか。
よくわからなさすぎた。

ソフィアとマリアのあいだには
関係があるのかなあ。

このように
疑問はいくつかかんじた。
でも自分が観たものきいたものが
全部だったとはもちろんおもってない。
字幕に書ききれない情報が
原語で話されていても
わたしにはそれらが
聞き取れてなかったとおもうし、
なんでも、人気ゲームシリーズの
実写映画化作品だそうなので、
ゲームのなかでは、
これらの疑問にも
答えが用意されているのかも。
それにどのみち、
疑問点はたしかにあっても
だからといって
ダメな映画だったとはおもってなく
わたしはむしろ積極的にたのしんだ。

じっさい この映画は
もう1回くらい見たい。

映画の感想-「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN(2016)」-170313。

先々週の日曜日、「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を観た。

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち
原題:MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN
ティム・バートン監督
2016年、米

movie.walkerplus.com

 

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テレンス・スタンプがでてておどろいた。
テレンス・スタンプいいよねえ。
エンダーズ・ゲームのエイサ・バターフィールドくんが
ずいぶん大きくなったことにもおどろいた。
エヴァ・グリーンがうっとりするくらいきれいだった。
あの人はふつうの現代劇ではなくてこういうファンタジーものとか
こう・・・ キッチリお化粧していかにもなコスチュームつけて
演じる役が ハマるよなあ。
きれいだよね。目もとの、濃いお化粧が
ドキドキするくらいイイ。

今年にはいってからずっと、アクション映画ばかりみていて、
バイオハザードザファイナルも、マグニフィセント・セブンも、
それらはどれも、観ていてなんにも考えなくてよかったし、
観終わってからも、一生なんにも考えなくていい映画だったけど、
「ミス・ペレグリン」は、なにかを考えずにはいられない映画だった。

ティム・バートン監督は、いつも映画に、欠陥をかかえた人間や
まわりとうまくやれない人間を出すよなあ。
そういう人の映画ばかりだよなあ。
自分が、そうだった、もしくはいまもそうなのかもしれないけど。
そうして、それらの 欠陥ある人びとやふつうには生きられない人びとを
とても積極的に認めていて、たたえているようにおもうな。

「ミス・ペレグリン」では、ペレグリン夫人の保護下で生活している
子どもたちはみんな一種の異形であり、ふつうの人たちに
まじっては まず生活できないような力を持って生まれてしまった
子ばかりだった。
どれも使いようによっちゃ ほんととんでもない能力だった。
でも、どの子も、その力をつかってなにかスゴイことをやろうとか
そういったことはしていなかったし、
その手の「自分たちこそが優秀な人種」みたいな教育を
うけている形跡もまるでなかった。
彼らの世話をするペレグリン夫人なども、べつに
子どもたちに「その力をつかってよりよい世界をつくりましょう」とか
言ってなかった。自分たちが、力を持っていない人間よりも
優れた偉大な存在、とも なにもいっていなかった。
彼らはなにも変わらない世界、彼らだけの安全地帯で、
ただたのしく 生活しているだけだった。
お人形あそびをしたり、家庭農園から野菜をとってきてご飯をつくったり、
ホームシアターをみたりしているだけ。
なにもしてない。せっかくすごい力をもってても。
いさぎよいまでになにもしてない感が
どうもなんだかすごかった。
エイサが演じた主人公の男の子も、
一種 特殊な能力者であることがあきらかになった。
でも彼は、その力があったとしても、ふつうの人びとにまじって
生活することは不可能じゃないかんじだったとおもう。
とくに見た目が異形というわけではなかったし。
けども、この男の子も、最終的には
ペレグリン夫人の子どもたちとおなじ
閉じた世界にとびこんでいくことを選んでいた。
こういうときふつう「でも主人公の子は、この子どもたちとの
出会いを経ておおきく成長し やがて ふつうの人びとのなかで
力強く生きていくことを決意するのでした。」
とかいう結末になるもんじゃないだろうか。
ならなかった。
きっぱりと自分から あの不思議な子どもたちのいる
閉じたほうの世界へと旅立っていった。
たいへんな苦労をしてもあきらめずに 
閉じた世界への鍵を探し求め、そして探しあてて旅立った。
そのような結末をものすごく肯定的に前向きな雰囲気で
描いていたことがとても印象的だった。
ティム・バートン監督は 自分がまわりとうまくやれない
子だった、のかもしれなくて、
そんなかつての自分に「それでいいのさ。一生だれともうまくやれなくても
わかってもらえなくっても 自分の道をつらぬきとおしていいのさ。」と
言ってやりたくて
こういう映画を作り続けてるんだろうか。
自分自身のために。
でもそうなのだとしても こうして わたしにもその
メッセージが 熱く響くよなあ。
わたしはティム・バートンじゃないのだけども。

まじわれないならまじわれないでいい、誰になんといわれようとも
自分の道をすすんでいいと いうメッセージでもあったし、
けども べつにだいそれたことをしなくてもいい、
ただ いまそのままの自分でもべつにいい
というメッセージでもあったとおもうわな。
つまるところ自分の存在を恥じなくてよいということかな。
まわりになにかいわれて揺らぐようなものじゃないわけだから。
みたいな?

ティム・バートンだわなあ。









雑記。近況。映画わりとみてた。出会いと別れ。中里学さんのライブ。心境の変化。

しばらく忙しめで 書く時間があまりとれなかった。
でもおおむね平穏な毎日をすごしてた。

映画は「マリアンヌ」「破門」のあとは
「ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち」と「アサシン・クリード」を
みてた。どちらもけっこうたのしかった。
そのうちちゃんと感想を書こうとおもう。
でも書かないかもしんない。
アサシン・クリードはなんとなく続編もありえるような
終わり方だったかもしれない。
マイケル・ファスベンダーはほんっといい役者さんだ。

次の機会にはトリプルXをみたい。
「スノーデン」をみたかったのだが
もう関東は都内くらいでしか
やってないみたいだ。 
行けるかなあ。
あと、今月末にはユーリ・ノルシュテイン監督の
特集上映をみにいくつもりだ。
近所の映画館では自分がいけそうな日にはやらないと
かんちがいしていて、唯一いける可能性があった
長野県松本市まで いこうかとかんがえていたのだけど、
よくよく公式サイトを確認したら、松本市のと同じ日に
電車で30分くらいでいけるところにある映画館で
上映されることがわかったので
そちらにいくことにした。
松本市にいくのもたのしそうだけど。
ずいぶんまえに一度 友だちと長野県に旅行に行き、
松本市を拠点に2日半 いろんなところを観光した。
あれは最高だった。あんなにくつろげる所ってないとおもうな。
すずしかったし みんないい人で最高だった。
今回はいかないが、長野県にはまたいきたい。

ユーリ・ノルシュテイン監督・・・
「外套」は 完成するのかなあ。
ひそかに、しかし確実に わたしは完成のときを
待っているんだけれども。

映画 今年はいまのところかなりみてていいかんじだ。
去年ぜんぜんみなかったこと後悔している。
今年はこの調子でしっかりみるつもりだ。


ずっと、本はたくさん読んでた。
昨年の暮れから 夜道を歩くときあの曲がり角でクマに遭遇したら
どうしよう、という われながら 言いようもなくわけのわからない
妄想みたいなものに かなり真剣に悩まされてきたのだが、
「クマに会ったらどうするか」(ちくま文庫)という
本を読んで その悩みがすっかり解消された。
今年に入って読んだ本としてはかなり衝撃的というか
すごく のちのちまで思い出に残りそう。
「クマに会ったらどうするか」。
ほかにもいろいろ読んでた。
おもにニーチェ読んでた。
気分が落ち着いているとき、ないしやや落ち気味のとき
ニーチェをつい手に取っているかんじがする。
べつにそんなに深く あの人の思想とかを
理解しているわけではないとおもうが。
尊敬している。その強さを。

 


ほかにもいろんなことがあった。2月3月は毎週のように
いろんな人と会って話したり 
新しい友だちとの出会いがあったりして
いま、ずいぶん充実感がある。
でも 別れもひとつあった。
心からかなしくおもう。
落ち込んでる。
自分に落ち度があった。
これもほんとうは くわしく自分の心境をかきたいような気持ちだが
いろいろとわけあって、むりだ。
事情をぼかして書いたんじゃ、自己満足以外のなにものでもない
内容になってしまい、人に読ませる前提のブログなのに、
それじゃ何の意味もないからなあ。
だから書かない。
しかし この件については正直ちょっとまいってる。
いろいろ考えすぎてしまっているみたいで
別れがきまった日の夜からどうもあんまり眠れない日が
つづいてる。
でもまあ自分でまいた種といえば自分でまいた種だ。
それに 自分よりももっと傷ついている相手がいるわけで。
ただ、やっときょうになって、すこし気分がかるくはなった。
自分はわりと なにかあると その影響がまず睡眠にくる傾向がある。
なにかというとすぐ 眠れなくなってくるのだ。
緊張しているとか、落ち込んでいるとかそういうことがあると。
うまいこと眠れない日が続いたことは 以前にもあり
はじめてではない。 
2週間同じ状態がつづいたときはさすがに 
これはまずいとおもった覚えがある。
疲労の回復ができないからヘロヘロになってしまって。
またつづくようなら 対策をかんがえたい。はやめに。

3月5日に、ソロシンガーの中里学さんのワンマンライブきいてきた。
こぢんまりとした会場のちいさなステージに
中里さんとギターとベースとドラムとパーカッションとキーボードと
コーラスとヴァイオリンとさらにダンサーまではいって
すごく豪華な編成だった。
わたしはガクさんはもうもっと大きな会場でやればいいとおもうけどな。
すごくたのしい いいライブだった。
じつは今日の夜も、ガクさんの追加公演的なミニライブがあり
行ってきた。 何度聴いてもあきないんだよな。
いいよね。
みんな中里学さんの歌聴けばいいんじゃないかな。
きっとたくさんの人に受け入れられる音楽だとおもうけどね。
共感できるんだよ。歌詞も音楽も よく考えられているけれども
平易でまっすぐ心に入ってくるし。
エモーショナルだけど押しつけがましさがなく シンプルでいいよ。

www.nakazato-gaku.info


去年のワンマンライブにも 行ったんだけど
そのとき、感想をブログに書いたから
参考までに ここにはらせてもらう。
たいしたことかけていないけど。
このブログ古いんだよな。こっちにはやく
ぜんぶ引っ越してこないといけない。
ブログがふたつある状態になってしまっている。

mollenhauer8rk.blog.fc2.com




ところで、
1か月半ばかりまえ、自分にとってたいへんに大きな
心境の変化があった。
これについては わすれることなくちゃんと 近いうちに
ここで告白したい。
これまでに数人の 信用できる人びとに
自分ですべての事情を話してきたので
だいぶ考えがまとまり、ちゃんと順序立てて
まともに話せる状態になったとおもう。
だからそろそろ書いてもだいじょうぶだとおもってる。

睡眠がどうかんがえても足りてなく 疲れがひどい。
胃とか腸とか調子わるいみたいだ。
どうせねむれないのに ねむりたい願望だけは
めちゃくちゃある。
とりあえず明かりを消して横にはなってみようとおもう。

またあした。

映画の感想-『マリアンヌ』『破門 ふたりのヤクビョーガミ』-170212。

午後から外にでて映画館に行き、
映画を2本たてつづけにみた。

・・・

その場の思いつきで
ぜんぜん毛色のちがう
2本の映画を選択した。

『マリアンヌ』
原題:Allied
ロバート・ゼメキス監督
2016年、米

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www.youtube.com

1941年、第二次世界大戦下のモロッコ
カナダ人の諜報員のマックスと
フランスのレジスタンスのマリアンヌが
ナチスドイツ要人の暗殺作戦を遂行。
作戦上の必要から偽装夫婦生活を送るうちに
ふたりは本当に愛し合うようになり、

作戦を成功させたのち英国で結婚する。
子どもにも恵まれ幸せな日々を送るが、
ある日マリアンヌに二重スパイの嫌疑が。
マックスに、妻を殺害せよとの命令が下る。
妻が裏切っていたなどと信じたくない彼は
彼女の無実を証明しようと奔走するのだが。

話は先が読めまくるし、
映像にも、特に印象ぶかいものはなく 
正直あくびがでるほど退屈だった。
この手の話はめずらしくないしなあ。
カサブランカ』(1942年)
(モロッコつながりで思い出したのだが)
とか平凡なメロドラマだけど
公開当時はものすごく評価されたよね。それは
当時のまさにその時代を映した映画だったからだと思う。
べつに悪い映画だと思うわけじゃないが、でも、
現代の鑑賞に堪えるとは必ずしも言えないだろう。
なんか『マリアンヌ』を観ていたら
今『カサブランカ』みたい映画をやることに
何の意味があるのかよくわからなかった。
悪い映画だと思ったわけではないのだが。
二度はみないと思うね。

自分を愛していると言ったのはウソだったのか、
信じたいけど信じられないけどやっぱり信じたい
複雑な夫の心のうごき・・・ そういうのなら
個人的には『ナイロビの蜂』(2005年)のほうが
もっとうまくじっくりと描いていたように思う。

この映画で一番印象にのこったのは、
マックスがフランス語を学ぶシーン。
どういう意味のセンテンスなのか、
フランス語の早口言葉みたいなもので
マリアンヌと一緒に発音の特訓をしていて
マックスの発音がへたくそでかわいらしい^^)

ブラッド・ピットはやっぱりカッコイイ。
おひげをそってちゃんとした服を着て
髪をととのえると、年齢をちっとも感じさせない。
マリアンヌはマリオン・コティヤールが演じていて
こちらもほんとうによかった。
あの女優さんは魅力的でわたしは大好き。

・・・

『破門 ふたりのヤクビョーガミ』
小林聖太郎監督
2017年、日本 

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www.youtube.com
こちらは とくになにを
期待したわけでもなかったせいか
観てみたら かなりおもしろくて、
なんだ、みてよかった! と
明るい気持ちになった。
黒川博行のシリーズものの小説の
6作目だかが原作だそうで。
ヤクザと、うだつのあがらぬ青年の腐れ縁コンビが
出資詐欺にあって莫大な金を持ち逃げされ、
それを奪い返すために大阪を走り回るという話。
血の気が多いトラブルメーカーのヤクザ(佐々木蔵之介)と、
口だけ達者なナマケモノの青年(横山裕)のコンビが
なんだかいい感じで みていて楽しい。
佐々木蔵之介のことは まえからすきだが
横山裕のほうはまったく知らなかった。 
こんな役者さんがいたんだなとおもい
あとで調べてみたらジャニーズの人だった。
キャスティングした人は見る眼がある。

出資詐欺をはたらく男を演じた
橋爪功もいい味だしていた。
いかにも こずるくて
なんとなく憎めない小悪党。

ヤクザの勢力関係とか出資詐欺とか、
わからない人は いくら聞いても
わからないたぐいの 小難しい話だが
それでも、誰でもなんとかついていけるように
じつにうまくまとめていた。

関西弁の会話劇もたのしく、あきずに楽しめた。
もっとずっと見ていてもよかったような気がした。

北川景子さんは
めちゃくちゃかわいかったけど
やや浮いてた。いなくても困らなかった。

「マリアンヌ」は二度はみないけど
「破門」はもう1回くらい観てもいい。

映画の感想-『スウィート・ヒアアフター』-170205。

ひさしぶりにDVDで観た。

原題:The Sweet Hereafter
アトム・エゴヤン監督
1997年、カナダ

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www.youtube.com


雪の日か 2月くらいになると
おもいだして 観たくなる映画だ。
冬のカナダの山間部が舞台の物語だからだろう。
雪道を走行中だったスクールバスが湖に転落、
乗っていた20人もの子どもたちが犠牲になる大事故が発生する。
街にやってきたスティーブンス弁護士は
被害者遺族による原告団を結成、
バスを作った会社を相手取った賠償請求訴訟の準備を進める。
しかし、事故の生き残りの少女がある重大な証言をしたことで
事態の様相が変化し始める ・・・
まあそんなような だいたい そんなような物語だ。
ほんとはぜんぜんちがうけども!!

『ピクニック・アット・ハンギングロック』(1975年)
みたいな魅力がある映画だと思う。

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言葉で解説することになんの意味もない。
筋書きはちゃんとあるのだが、それが理解できたからといって
どうなるものでもなく、感じ取ることを楽しむ映画。
どこがいいんだか さっぱりわからんという人もいるだろう。
みんなほめるけど自分にはよくわからない映画、なんて
わたしにもいっぱいある。

でも『スウィート・ヒアアフター』は、わたしは好きだ。
生き残りの少女を演じたサラ・ポーリーが いつ見ても神秘的。

また来年の今くらいの時期におもいだしたら観よう。

20年前の映画なので 
登場人物たちが使っている 携帯電話が超デカい。

アトム・エゴヤン監督の
手紙は憶えている』と
サラ・ポーリーが監督した
テイク・ディス・ワルツ
みたかったんだよなー。

・・・

現在公開中の映画では
『沈黙』と『スノーデン』と『ローグワン』がみたい。
マグニフィセント・セブン』ももう4回くらいはみたい。
マグニフィセント・セブン』たのしかった。
あと『破門』もちょっとみてみたい。
佐々木蔵之介がでるから。
でもどれも地元の映画館では 都合のいい時間にやってない。
来週の土日は連休だから すこし遠出して
の映画館にいってみたい。