BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』-161203。

原題:Fantastic Beasts and Where to Find Them
デヴィッド・イェーツ監督
2016年、米・英

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www.youtube.comwwws.warnerbros.co.jp

この公式サイトはなかなか意欲的でいいね。



すごくよかった。
いままでどんな映画でも
みたことがないような
映像をいっぱいみられた。
あとエディ・レッドメインが最高だ。
エディ・レッドメインが最高。
この映画をみたことは
すごくいい思い出になった。

それぞれのキャラクターや
その心のなかをもう少し
しっかり描いてほしかった。
というのも 
キーパーソンはみんな、
すごい力やよい心を
ちゃんと持っているのに、
不器用で正直すぎるあまり、
社会でうまくやっていけない
という人たちだったからだ。
ストレートな意味での
ヒーローなんかはひとりもいない。
みんなついつい共感してしまう 
ちょっとめんどくさくて
でも人間的で・・・そんな
いい個性があった。
個性のかたまりどもだったのだ。
もっと彼らの
キャラクターをみてみたかった。
実際、そういうこと、
けっこうやりたそうなにおいを
かんじたけどねえ。
でも見せ場をほかにもたくさん
つくらなくちゃいけないから
時間がなかったのかも。
わたしとしては、
全体をあと30分のばすか、または
ニュートのトランクの中身を
みせる時間を5分けずり
登場させる魔法生物を
1種類でもへらしてたら
もうちょっと人間たちを
掘り下げることができたと
おもわなくもない。
雷雨を起こす鳥と
サイズが自在に変わるヘビは、
ばかでかいという点がおなじだから、
どっちかひとつでもよかった気がする。
暴論だけど(^^)

それにしても
「オブスキュラス」の
持ち主がだれか、という
ミステリーパートにはやられた。
脚本の上で 完全に
コロコロ転がされてしまった。

米国の魔法界当局の
エージェントたちが、
めちゃくちゃに破壊された
ニューヨークの街を、
魔法で復旧していくシーンがあった。
街を歩きながら杖をゆらすだけで 
壊された建物とかが
全部もとどおりになっていく。
あのシーンの美しさと独創性には
胸をうたれたなあ。
エージェントたちが
みんなモブキャラなのがよかった。
半壊した街をもとどおりにするくらい
大魔法使いじゃなくても朝飯前 
というのを見せることによって、
魔法の強大さと底知れなさを
表現したのかなとおもうのだが。
でもそれだけでなく、
とにかくとほうもなくきれいで。
あのシーン。
けど いくら魔法とはいえ
死んだ人や負傷者を
もとにもどすことはできない
とおもうんだよね
もとにもどすというか、
なかったことにするというか。
あの大騒動のなか、
死人やけが人はゼロだったという
ことなんだろうか(^^)
遺族や、けが人たちの記憶は
どうなったんだろうか。
都合のよいべつの記憶に
おきかえられたんだろうか。

ハリー・ポッター』シリーズの舞台が
英国であったせいか、
いまや魔法の世界というと
思い浮かぶのは
どんよりくもった空
薄暗い森、寄宿学校・・・
そんな気がする。
そこへ
魔法の世界と「ニューヨーク」
の組み合わせをもってこられると
違和感をおぼえる人もいるのだろう。
個人的には、
その違和感こそが
かえってよかったような気がする。

ぐっときたね 
あの街の復旧シーンには。
あれをみるために
もう1回くらい映画をみてもいい。

映画の感想-『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』-161127。

原題:Jack Reacher: Never Go Back
エドワード・ズウィック監督
2016年、米

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目新しさや斬新さは、
ストーリー的にも映像的にも
まったくなかったような気がするが
トム・クルーズ
「スターってのはこういうことさ!」な
文句のつけようのない
かっこよさが最高。
何歳になってもトムはスター。
彼自身の熱意と意欲が
ひしひしとつたわってきた。
1シーン1シーン 
手をぬかないところが
トムのいいところ。

ジャック・リーチャーの元同僚
ターナーを演じた
コビー・スマルダーズ
知的な美しさがすてきだった。
強くてかっこよかった。

ジャック・リーチャーの娘かもしれない
ティーンエイジャーの
女の子を演じた子は、
さいしょははっきりいって
「かわいくないなこの子」。
クロエ・グレース・モレッツ
オファーを断られたのかなあ」
とか思いながら見ていたし、
「ぽっちゃり」というにはちょっと
あごのあたりなどが
ふっくらしすぎじゃないか?
とか余計なことを
いろいろ感じてた。
ふつうこういうときは
とびっきりのカワイイ子を
連れてくるもんかなとおもうから。
でも、みていくうちに、
ああこの子じゃないとだめだった、と
つくづく思わされるようになった。
物語の中盤あたり、
ジャックとターナーと3人で
ホテルに滞在するシーンで、
買い物から帰ってきたジャックから
「おなかぺこぺこ!」と
うれしそうにファストフードの袋を
うばいとるやいなや、
彼の鼻先でおもいっきり
部屋のドアを閉め
ターナーとの女子トークを再開する
・・・というあれをみたときには
「この子最高!」と感じた。
あのドアの閉め方の
容赦のなさとか 勢いのよさ、
堂々と無神経なかんじが
彼女じゃないとダメ感が
すごくあってよかった。
トム相手にあれができるのは
たいしたものだとおもう。
ラストになるともう
「また会いたーい!!」って
ジャックよりもわたしが
叫びたい気持ちになっていた。
いい子をみつけてくるよ 
ほんと、こういうのの
キャスティングをする人ってのは。
キャスティングって、
どういう技能なんだろう。
スゴイとおもうわ。

トム・クルーズがお父さん
(今回はお父さんかもしれない、だが)
を演じたのをみたのは
宇宙戦争』以来かとおもうが、
あのときも 子どもは「娘」だった。
トム自身に娘がいるからかもしれないが。
お父さん役じゃないときとは、
やっぱり表情が全然ちがう。
いい顔をしていたとおもうよ。

ラスト数分はつい泣けた。
女の子の表情が
かわいくていじらしくて、
もうたまらなかった。
ジャックの不器用な態度も
ほんとうのお父さんのよう。
去っていく女の子の後姿は、
早足できびきびとしていた。
きっとすてきな大人の女性に
成長していくんだろうなと
おもえる 決然としたようすだった。

コビー・スマルダーズが演じた軍人女性が
身の潔白が証明されて
仕事に復帰したときの後姿も
おもえば凛としてかっこよかった。

この物語は、
ジャックのかっこよさよりも、
女性のしなやかさと強さとを
描き出そうとしたものだった
のかもしれないね。

映画の感想-『インフェルノ』-161113。

原題:INFERNO
ロン・ハワード監督
2016年、米

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手紙は憶えている』がみたかったが 
都合がつかなかった。
『ジャック・リーチャー』も迷ったが
これはまだ公開されたばかりで、
次の機会でも間に合うだろうと感じたので、
本作にした。

原作は読んでない。
ラングドン教授シリーズ、ひとつも読んでない。
でも映画『ダ・ヴィンチ・コード』が
おもしろかったので。

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なかなかたのしかった。
でも よく考えると
ありきたりだった。
ああいうラストにしか、
なりえないとおもうし。

ダ・ヴィンチ・コードのときから
おもっていたのだが、
ラングドン教授の
キャラクターが、みえない。
宗教印章学の第一人者で
ハーバード大学教授。
まじめで良識的
おとなしく、それでいて活動的。
それはわかるのだが、
それだけではラングドンのことを 
どうにも思いようがない。
世間がなぜ
「ラングドントム・ハンクスの当たり役」と
評価するのかわからないし、ぴんとこない。
シャーロック・ホームズ
インディ・ジョーンズのように
クセしかない!みたいな
キャラを演じてくれれば
トム・ハンクス
それにハマっているかどうか
考えようもあるとおもうのだが。
しかしながら
わたしは
フィリップス船長や
キャスト・アウェイのチャックを
トムが演じていたことは
よくおぼえているが
あれがハマっていたかどうか、
といわれると
やっぱりよくわからない。
トム・ハンクスはどんな役柄も
自然になりきってしまうからなのか
逆にあんまり 
役そのものが印象に残らないようだ。
わたしは
キャプテン・フィリップスについて
キャストアウェイについて
語ることはできても
船長やチャックのことは 
よく覚えてない笑

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ラングドン教授という
頭のいいふつうの学者さんを
なんの違和感もなく
さらっと演じ切っているという
その点において
トム・ハンクスのすごさは 
だからもちろん理解できるが。

ラングドンの今回のライバルは
人類滅亡を企図する化学者ゾブリスト。
(ただしゾブリスト本人は
人類を滅ぼすことが悪いとは
おもっていない。彼は彼なりに
本気で人類のためをおもって
やっていたのだ。)
この化学者を
もっともっとすごい切れ者として
描いてほしかったような気がする。

ラングドンが優秀すぎるのか、
ゾブリストの仕掛けた幾多の謎が
いともかんたんに解かれてしまうので
「謎」感がすこしもかんじられない。
これではゾブリストが
大した人じゃないかんじがしてしまう。
もうすこし悩めよ。ラングドン
ただ、ゾブリストは、
映画をみていたかぎりにおいては、
あくまで化学者であり、
べつに宗教印章学やら
ダンテやらの古典に
ラングドンほど
くわしいわけじゃ
ないようだったので、
高度な暗号などはつくれなくても
しかたがなかったのかなとおもう。
いや、でも、ゾブリストが
そういうのにくわしくなくても・・・
いやいや、これ以上はやめとこう。

ゾブリストが
イスタンブールの地下に設置した
インフェルノ」が、
ただのよれよれの
ビニール袋に入っていたのに驚愕。
危なすぎる。
あんなものをビニール袋に入れて
不潔な水にひたしておくなんて。
いつ仕掛けたのかしらないけど。
計画発動より先に
イスタンブール
災害などがあったらおおごとだ。
ゾブリストの狙いは
人類の滅亡なのだから
自然災害で計画が予定より早まっても
結果オーライかもしれないが。

「100年後の人類の生存のために、
今、人類の半分を滅亡させよう」
という主張で 
熱狂的に支持されたカリスマ。
それなのに協力者がいない。
仲間が少ない。
インフェルノ」を
セキュアに設置するための
専用ケースくらい 
作ってくれる仲間は
いなかったのだろうか。
いなかったんだろうなあ。
インフェルノの発動スイッチの
ちゃちなことといったら。

そもそも
インフェルノ」を隠す作業も
ゾブリストがひとりで
やったことみたいだった。
その作業のようすを想像すると 
みじめだ。
孤独な人のようだった。
「あなたは正しい」
「あなたのことを支持する」
多くの人がそう言ったのだろうが
でもいざというときに
彼に協力して動いてくれる人は 
とても少なかった。
それをおもうと気の毒だ。

ラングドンと行動をともにする
医師のシエナ
フェリシティ・ジョーンズ
彼女はすてきだった。
だけど、
ラングドンのむかしの恋人?の
エリザベスのほうが
シエナよりずっと年上ながら
はるかに魅力的。

WHOのメンバーのブシャールを演じた
かっこいい黒人の役者さんは、
どこかでみたなとおもったら、
最強のふたり』の
オマール・シーだった。

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あいかわらず
ほれぼれするようなイケメンだ。

ところで、わたしには、
ラングドンがなぜ
ダンテのデスマスクを盗んだのか
最後までみてたけど
まったくわかんなかった!
なんで???
いくらあとで謝って返しても、
彼はあの美術館 
出入り禁止になっちゃったかもね。

映画の感想-『ジェイソン・ボーン』-161106。

原題:JASON BOURNE
ポール・グリーングラス監督
2016年、米

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これはすごくおもしろかった。
あとで インターネット上の
各種レビューをみたところ、
「これまでのシリーズを
みていないと理解できない。」
といった意見が多かったが、
わたしはそうはおもわなかった。
シンプルでわかりやすかった。

なにをかくそうわたしは
ボーン・レガシー』しかみていない!

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ボーン・レガシー』は
ボーン・シリーズに入らないと
いう人だって いるって聞くからなあ。
主演がマット・デイモンじゃないし。
わたしはジェレミー・レナーが恋しい。
また彼に会いたいよ。

それはいいとして、
ともかく『ボーン・レガシー』しか
みていないわたしがみても
すごくおもしろかったし、
内容が理解できたと
自信をもっていえるので
べつにこれまでのシリーズをみずに
本作をみても
問題ないとおもう。
逆に葛藤が少なくてすむし、
目の前でおこるできごとに
集中できるともいえる。
そもそも、それほど難解かつ
遠大な物語というわけではないようだ。

なんにせよすごくよかった。

俳優マット・デイモン
あまりよくはしらないのだが、
第一作のときより
だいぶやっぱり老けたんだな、
ということは感じつつも
(回想シーンが随所にはさまれるので、
物語が始まったころの彼の姿を、
見ることができた。)
それでもすごく生き生きとしていたし、
アクションも光ってた。

トミー・リー・ジョーンズ
ヴァンサン・カッセルもかっこいい。
ヴァンサンの、
積年の強い恨みをかかえているがゆえに
もはや人間ではなく
「恨み」そのものと化したかのような
陰気くさく 自分の感情にまみれて
饐えたようなにおいをはなっている雰囲気が
たまらなくよかった。
「裏切者、それがおまえだ」。

ギリシャの市民デモのさわぎを利用して
元同僚と落ち合おうとしたジェイソンが
CIAに見つかってバイクで逃げまくるところ
頭上から建材とか火炎瓶とか
いろんなものがおっこちてくるのだが
そのシーンが、
障害物をよけながらゴールをめざせ!みたいな
ゲームのようでおもしろかった。

ラスベガスの全面協力によったと思われる
街中つかってのカーチェイス
地下通路のバトルはかなり興奮した。
もっともっと
ハードでもよかった。

ラストシーンは秀逸。
野心的な若きCIAエージェントの詰めの甘さを、
ジェイソンはみのがしていなかった。
個人的には、アリシア・ヴィキャンデル
ああいう役をやってほしくなかったけど・・・。

ジェイソンかっこいい!
ただ、彼は今後、
どんなふうに生きていくんだろう。
続編があるような報道を
どこかで見た覚えがあるので、
今後もしほんとうに続編が
発表されたらぜひみたい。

ところで、
さいしょの話に戻るんだけど、
わたしは、シリーズものの映画で、
前作を1本もみていない人が、
最新作をみてもまったくかまわないとおもうし、
そもそも、前作までをちゃんとみてないと 
みる意味がないようなシリーズ最新作なんて、
ないはずだと考えている。
あるとしたら、それは駄作であり
作る方の怠慢ではないか。
でも、駄作であるにもかかわらず
シリーズ化するほど人気が出るなんて 
そんなことが起こるともおもえない。
逆に みんなが駄作だといっても
わたしは傑作と信じていて
シリーズ化を心待ちにしている
(そして実現しない)
映画はいくつかあるが。
(『エアベンダー』とか)
だからやっぱり
「前作をみてないとみる意味がないシリーズ最新作」
は、ないとおもうのだ。

「ボーンシリーズを全作みてから
ジェイソン・ボーン』をみるか」
「ボーン・シリーズをひとつも観てないのに
ジェイソン・ボーン』をみることが、
バカの所業か否か」
などということは、
宇宙全体からみたら
チリひとつぶんにもならない
どうでもいいことなんだけれど、
でも、べつに、いいはずだ。
買ったばかりの洗濯機を
マニュアルを読まずに上手に使いこなす人を見て 
お前はおかしいとけなす人は まさかいないだろう。
マニュアルなしでも使いこなせるくらい
ユーザーフレンドリーな洗濯機を作った、
メーカーのお手柄にほかならないではないか。

わからない部分を
自分の心のなかで補完して
咀嚼しながら最新作をみるのもたのしいものだ。
そうしちゃいけないという法律はない。
わたし、じっさい、それができたし。
ジェイソン・ボーン』という作品では。
それでもやっぱりわからない、
もっと細かく知りたいとおもったら
レンタルショップ
前作のDVDをかりにいけばいいし、
それで想像のなかのボーン・シリーズと
ほんとうのボーン・シリーズの
ちがいを楽しめばいい。

なんとか診断的なもの/家計簿は必要か/映画の感想-『夏の終り』-161009。

このまえ、
ある本を購入した。
人それぞれの性質に合った
ストレス解消法をみつけて、
仕事や生活に役立てよう、
というものだった。
世の中いろんな人がいるので、
ストレスのたまり方や
「どんなことをストレスと感じるか」や
どうやってストレスを解消すれば
効果的か、は人それぞれ違う。
だから自分がどんなタイプかを確かめて、
そのうえで効果的な
ストレス解消法をチェックしよう!
という説明には、
なるほど、とおもわされた。

せっかく購入したので、読んでみた。
けど、自分の性格傾向とかにかんして
とくに新たな気づきが
あったわけでもなく
思考様式を変えてみるとか 
丹田呼吸法がどうとかみたいな・・・
「どこかで前にも読んだな」的な
結論にたどりついただけであった。

でもたしかに、
「わかっているかどうか」と
「実践しているか否か」は
ちがうからな。
「なーんだ。つまんないの」
で終わるのではなく
実践してみることが
だいじかもしれない。

ただ、
最初の、セルフチェックの段階。
カテゴリごとにいくつかの質問が
用意されていて
すごくそう思う
まあそう思う
あんまりそう思わない
みたいなかんじに
回答していき 共感の強度に応じて
点数をつけておいて
いちばん点数が高かったカテゴリが 
自分のタイプ・・・というやつだ。

人間、自分のこと
そんなに正確にわかっているのかな。
自分はこうだとおもっていても、
本当はそうでもないのかもしれないし
こうでありたい、
こうだということにしておきたい
という願望が 
セルフチェックに影響しないとは
言い切れないとおもうのだが。 
自分のことは自分が
いちばんよくわかってる・・・って、
ほんとにほんとなのかなあ。
そうであるが、
そうでなくもあるというか。

話がいったりきたりするが。

診断結果として わたしは、
「過去を引きずりがち」タイプと
「自尊心強め」タイプとに 
だいたい同程度に寄っていた。
前者が11点、後者が12点だ。
過去を引きずりがちで自尊心強め。
正解だ。
わたしは 
遠い過去にいろいろなものを
抱え込んでいる。
生まれるところから
やりなおしたいという苦悩に
のたうちまわっている。
心の痛みや苦悩を
知識や教育を吸収することによって 
みずから分析することによって
後天的に解消しようとしてきた。
何年もそうしてきた。
だから 芯の部分はいまだに 
過去にとらわれて
しくしく泣いてたりするが
ガワの部分は 
社会活動をちゃんと送れていて
人とコミュニケーションもでき
仕事もまじめにやり 
文化的に生きられる という
それなりの人間として形成されている。
芯の部分が「過去にとらわれキャラ」で
ガワの部分が
「わたしちゃんとできてる!」
の「自尊心強め」キャラだ。
ガワが今くらいの程度にまで
形成されたのはいつごろだったか
いまはもうわからない。
ずっとまえからこうだから。
子どものときからだ。
ガワは ガワだけれど 
これもまたほんとうのわたしだ。
分裂しているとはおもわない。 
乖離に苦しんではいない。
芯の部分をつねに見つめ続ける 
ガワの自分がいる。
このふたつのタイプです、と
コンビニで買った
うっすい自己分析本でも
きちんと答えがでたことは、
なかなかおどろきであるし
体感としては、非常に正しい。
正解だ。

正解だ、と
わたしは思うし感じる。
わたしは思うが、
それが正解かどうかは・・・。
正解だと わたしが思っていれば正解、
といっても、その根拠は
なんなのか?
根拠はなんなのか
説明してくれる人がいたとしても
それが正しいという証拠はない。
かといってまわりの人が
「イヤ、君はこうだよ」といっても
それが正しいかどうかも
やっぱりわからないしな。
そもそも正しいって
なんなんだろうな!とか。
自分の気持ちと
他者による評価の一致、ということで
いいんだろうか?
でも 嘘の自分を演じているうちに
自分でもなにがほんとか
わからなくなっちゃう
なんてこともある。
「自分」とは何なのか。
生まれた瞬間からもう 
自分てなんなのか見失うんじゃない?
生まれた瞬間から迷子。
自分はこうだ。
と、思う。たぶん。きっと。
・・・程度にしか
ほんとは言いようがない。
就職活動のときに
学生さんが決まってやるところの
自己分析 っての、あれも、
信用できるのか?
占いみたいなもんじゃなかろうか。
何度やってもまったく
同じ答えが出るとも おもえないし
自分。なんて不確かなのだろう。

・・・

家計簿の話。
一時期、パソコンの無料ソフトで
家計簿をつけていたことがあったが
やめてしまった。
めんどうだったからだが
のちに、どこかで
「家計簿をつけないと、自分がいつも
なににお金使ってる・・とか
わからないようじゃ、そもそもダメ」
って 書かれてあるのを読んで、
まったくそのとおりだよ。とおもい
自分の感覚と口座の残高が
そんなにずれてなければ
べつにいいんじゃないのかと
考えるようになり
いまや まったくつけてない。
わたしの金銭感覚は、ふつうだ。
借金はない。
人にお金をかしてもいない。
給料は毎月ちゃんと支払われる。
本ばっかり買ってしまうが
借金とかしてまで買わない。
自分がなににどのくらい
お金をつかうか知っており
口座の残高も体感的に把握しており 
実情とずれてもいない。
口座の残高が毎月劇的に
変動するようなこともまずない。
できるかぎりの貯蓄もしている。
てことで、とりあえず今は大丈夫だ。

・・・

「夏の終り」の話。

きょう、映画をみてみた。

『夏の終り』
熊切和嘉監督
2012年、日本

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雰囲気出ててよかったんじゃないかな?

満島ひかりさんはもうすこし
昔の女性の話しかたや
立ち居振る舞いなどが 
板についてて
ほしかったような気もしたが
たいした問題でもない。

恋をしている人間の
傲慢さがすごく でてた。
死ぬ気なんかないくせに 
死のうっていわれて 
ええ、って
答えるとことか
なーんにも考えていないくせに
あなたはどんな気持ちで
ぼくとつきあっているのか、と聞かれて
「憐憫よ!!」なーんて
言っちゃうところとか
それっぽくてよかった。
あるだろうな、
こういうこと。

不倫を夫に告白して
ぶたれる回想シーンと
そのときの夫の
「女のくせに・・・」
という捨てぜりふが
なんともいえずよかった。

本妻と電話で話すシーンもいい。
あの奥さんの笑い声たまらん。
負けた!!! ってかんじだ。
この あばずれの泥棒ネコ!
なんてキレられるよりも
主人がお世話になっておりますって
にっこりされたほうが
負けた! ってかんじする。

年下の元恋人(綾野剛)との復縁が
いまの恋人(小林薫)との関係を
ふりかえるきっかけになったと
解釈する向きが多いようだが
そうなのかな?
みていたかんじ、
あんまりそういう印象は
受けなかった。

でもまあ 
感じが出ててよかった。
回想と現在と
現在の幻想との区別が
ちゃんとされていたのも
抽象を解さない
わたしのような者には
たすかった。

映画の感想-『スーサイド・スクワッド』-160926。

原題:Suicide Squad
デヴィッド・エアー監督
2016年、米

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このオフィシャルサイトは、
ハーレイ・クイン推し」を
隠そうともしてないなあ(^^)

映画館に到着した段階では、
『怒り』を観たいと
おもっていたつもりだ。
でも
券売機の前にたったときには
もう気分が変わってて、
本作を選択していた。
なんか、ちかごろ 
大勢にたいする
カウンタームービー的な
どうもそういうのを
観たがっているかもしれない。
一瞬 
『超高速参勤交代リターンズ』を
みようか迷った気もするが
あれは第一作が
まったくおもしろくなかったから
血迷ったとしても
選ばなくてよかったとおもう。

ところで、
本作は、
まあまあだった。
最初のほうはたのしかったが、
かなり早い段階で興がさめた。

単に、自分が期待したような
かんじじゃなかったという
だけのことなので、
もちろん、この映画が
「いい」とおもう人も
たくさんいるだろう。

わたしは、映画や小説に
でてくる悪人は、徹底的に
「人間のクズ」じゃないと
イヤだと感じる。
この映画はその「悪人」が
主人公であるのに、みんなちっとも
「悪人」らしくなかった。
みんな結局いいやつで、
観ていると好きになっちゃう。
ハーレイ・クインなんて、
女のわたしが
どきどきするほどカワイイし
超大好きだ。
ふつうに彼女をまた観るためだけに
あと2、3回映画を観てもいい。

でもそれはだめだ。
それはつまらない。
好きになっちゃう悪人なんて
おもしろくない。
理解できてしまう悪人なんて
悪人じゃない。
悪の理論のわけわからなさを
笑い飛ばしたかった。
なぜそのように行動するのか、
なにを考えているのか
まったくわからない純然たる悪人
それでないと 悪人の映画はたのしくない。
女子どもも平気で殺すかんじで
あってくれないと たのしくない。
悪人の背景に、
「愛」とか「仲間」とか
「おれにも実は娘がいて・・・」
とか
そういう事情をみたくない。
そういう事情が、
実際の世界の人間には
必ずあると知っているからこそ
映画のなかや小説のなかでは 
突然変異的な、
ピュアな悪人を楽しみたい。
なんでこんなやつが
この世に存在してしまったのかと
おもってしまうような 
そういう悪人が。
本作にはそういうのを
期待したのだが、
それがかなわなかったことが、
残念だった。

DCアメコミの映画化だそうなので、
原作を知っている人たちは、
最初から、わかっていただろう。
主人公たちが
「憎めない系の悪人」であることを。
アメコミのヴィランてのは
みんなそういうのだからな。
こいつは悪い奴だけど、
そうなっただけの
深い事情があってだな、っていう
キャラクター。
だから、逆に、
本作をみて
まだまだこれじゃなまぬるいと
思った人もいただろう。
あいつがどうしてこのような
犯罪者になったのか、という
背景をもっとちゃんと
描いてくれないと、と
感じた人もいたことだろう。
つまり
ヴィラン描くならもっと徹底的に
クズに描いてくれよ っていうのは
おめー アメコミのこと
なんにもわかってねーな!的な
意見なのだ。

でも、映画は映画で、
マンガはマンガだ。
DCアメコミを読んでなかろうが
映画だけ観る権利はあるし、
映画だけ観て
ものをいう権利もある。

映画にするなら 
映画だけ観る人たちも
おもしろく観られるように
うまく料理するんだろうし、
それでまったくかまわない。

その意味では、本作は 
原作ファンにも
映画だけ観る人にも
どっちつかずの映画に
なっていた感があった。
製作者は
ハーレイ・クインやデッドショットを
愛してやまないファンが
たくさんいることをわかっているだけに
おもいきって壊すこともできず 
かといってなぞりきることもできず
といったかんじだろうか。
しらんけど。

日本人のキャラクター・カタナの
過去を描くシーンが
あんまりだった(^^)
切られ役とはいえ
なんでわざわざ母語
日本語じゃない俳優を使ったのか
意味がわからない。
カタコト気になる!
カタナを演じた女優さんの日本語が
(日系アメリカ人だそうだが)
違和感なく 美しかっただけに
気になって気になって
しょうがなかったよ(^^)
どうしても見た目で
選びたかったとか
だいじな役だから 
日本語が話せることではなく
演技力やアクションの心得があるかどうかで
選びたかった、
とかならばわかるのだが
切られ役じゃないか。
俺はやってないぞ!とか
いいわけしながら殺される役。
日本語をちゃんと話せる俳優なんて
いくらでも探せたはずだろう。
まともに話せないなら
セリフなしでよかったのに。
昨今、中国にはずいぶん
へいこらしているハリウッドだが
日本で公開されることは、
意識してくれないのだろうか(^^)

でもハーレイ・クイン
くらくらくるほどカワイかった。
あとエンチャントレスという
恐ろしい古代の魔女を演じた
フランス系みたいな名前の
女優さんもかわいかった。
くっきりした顔立ちで。
あのふたりを観るためだけに
あと2、3回映画をみてもいい。
フラッグ大佐もすごくかっこよかった。
わたしはあの役者さんを
知らなかったのだが
あんなに男前なのに
知らないとはどういうことだ。
ちょっとトム・ハーディ的な
スッとしたかっこよさ。

映像もしゃれててよかった。
画面が暗くて、
なにをやっているのか
よくわからないところはあったが。
迫力があった。
高層ビルのてっぺんまで
要人を救出しに行く、
というミッションのシーンは
ゲームの攻略過程を
観ているようでおもしろかった。

スーサイド・スクワッド
メンバーは全員、
常に拘束衣を着せておかなくちゃ
いけないような、凶暴な犯罪者であり
ふだんは終身刑か死刑で監獄にいる。
政府から出動要請があっても
彼らを出獄させるだけで ひと苦労で、
そのたびに警察の特殊部隊や
監獄の職員が何人も普通に死ぬ、
という設定が
なかなかおもしろかった。

まあそんなところか。

『血界戦線』がすきであること。-160905。

血界戦線』というマンガがすきだ。

血界戦線』(完結)と、
血界戦線 Back 2 Back』(続編)があり

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jumpsq.shueisha.co.jp
『ジャンプSQ』で連載中なのは
血界戦線 Back 2 Back』の方だ。

わたしはこれがとても好きで、
みんな このマンガのこと
好きになればいいのになーとおもっている。

物語の舞台は、もとニューヨーク。
というのも ニューヨークだった街が
3年前に突然崩落・再構成されて
きがついたら魔界みたいな異界みたいなところとリンクし
異形の生物たちとふつうの人間たちとがまじりあって暮らす
街ができあがってしまった。そのもとニューヨークを
「ヘルサレムズ・ロット」と呼んでいる。
異界方面のラスボスには
「血界の眷属(ブラッドブリード)」という
ヴァンパイアみたいな一族がいると考えられている。
こっちの世界には、異界とこっちの世界の
均衡をはかろうとする
武闘派秘密結社「ライブラ」がある。
そんなヘルサレムズ・ロットで起こる
いろんな事件や戦いを
描いていくというような バトルアクション系マンガだ。

といっても、なんかちっとも的確ではない。
ほんとうはもっと正しい紹介があるのかなあともおもう。

どこかどうおもしろいのか、
なぜすきなのかと聞かれたとき
うまく説明できないのも問題だ。
説明を試みるとすれば
・とにかく理解しにくい。
 1回読んだくらいじゃなにをやってるのかわからない。
 それを理解したくて何回も読み返すことがたのしい。
・理解した先に、立派なメッセージなどはまったくない。
・でも、そこがなんかいい。
・女の子がちっともかわいくないし、きれいじゃない。
・絵は必ずしも上手ではない。
・でも、それがなんかいい。
・基本的に話がまったく進展せず、だらだらと
「異界における日常」が描かれる点が、
「逆に安心して読める」という意味で、魅力。

・・・などというかんじになってしまい
ほめてるんだかけなしてるんだか、わからないことになる。
それがわたしにとっての血界戦線

でもみんなこのマンガのこと好きになればいいのになーと
ほんとにおもっている。

第1シーズン「血界戦線」はコミックス第10巻で完結した。
現在、第2シーズン「血界戦線 Back 2 Back」が
はじまっていて、コミックスが2巻まで出ている。

コミックス2巻を先日購入したとき、
表紙をめくった部分に書かれている作者の一言コメントの
ようなところをみたら、作者が毎朝早起きして、
伊集院光とらじおと」
(ラジオ番組。月~木の朝放送されている。TBSラジオ
を聴いている、ということが書かれていて、
自分もいつも「伊集院光とらじおと」を聴いているので、
すごくびっくりした。

自分が好きなマンガや映画を作っている人が
自分と同じものをすきだと知ると うれしい、というのを
とおりこして
自分が好きだとおもうものなんだから、
それを作っている人と自分とは趣味嗜好が必ずや近いはず
といったような 奇妙な確信?とも期待?ともつかないかんじの
アレに襲われたというか
そういう奇妙なアレが自分のなかにあったことに気づいたというか。
うれしいというかなんというか やっぱりね!というかなんというか
おかしな そわそわするきもちになった。

血界戦線」は、アニメーションも放送された。
(2015年4月~6月。たしか最終話だけ10月ごろ放送だった)

kekkaisensen.com


これも、すごくかっこよかったし、おもしろかった。
それに、物語が、
よくまとまっていたんじゃないかな?と思う。
理解しやすかったというか・・・。
映像も美しかった。
あの映像の質を、どのアニメでも保とうとおもったら、
アニメーション作る人はみんな早死にするだろうなと
考えたりもしたほど
目にあざやかで バツグンにかっこいい映像だった。
わたしは、血界戦線がすきだが
血界戦線が世界でいちばんおもしろいマンガだと
おもっているわけではない
ほかの人たちも、だいたいそんなかんじの感覚だろう。
つまり、血界戦線はおもしろいけれど、
人気は「そこそこ」のはずだ。
王者「ワンピース」とかには、およばない。
だから、正直わからない。
みていたときも、いつも疑問に思ってた。
血界戦線のアニメが、あれほどまでにすばらしかったことが、
いまだに解せない。
いってしまえば、「よく予算おりたなあ」と。
人気がそんなにでるとはおもえないアニメに
あんなにすごい仕上がりにできるだけのお金が
よく出たなあと。
よけいなおせわかもしれないが。
製作に関わった人すごく大変だったろうな。

録画して、何度くりかえし観たかわからない。
マンガでみてきたことが動いて
しゃべって音出てて色もついてる
ということを これほどすなおなきもちで
うれしいとおもったことってなかった。
いままでどのアニメーションでもそんなことを
したことはなかったのに
血界戦線は、ブルーレイまで購入した。

コミックスの3巻の発売がはやくも楽しみであるし
アニメーションの新シリーズが
やってくれないかなーとおもっている。